ヒップホップの歴史から見える!現代のビジネス事情とマーケティング

ヒップホップの歴史から見える!現代のビジネス事情とマーケティング

リズミカルなサウンドが特徴のヒップホップ。DJがレコードを擦って音を出すスクラッチや、言葉遊びのように韻を踏んだ歌詞を楽曲に乗せるラップなど、ひとつの楽曲にさまざまな独自のテクニックが盛り込まれています。

ラフなトップスとパンツに、足元はNIKEのエアジョーダンやエアフォースワンといったファッション、を連想する方も多いでしょう。

「不良」っぽいファッションのヒップホップ・アーティストが多いため、社会へ反発しているイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、多くのヒップホップ・アーティストには楽曲を通じて社会に対して問題提起をするなど、自分の置かれた状況に対して真摯に向き合う姿が見られます。その姿は、多くのリスナーの心をとらえ、影響を与えてきました。そのパワーは、ビジネスにまで及びます。

そんなヒップホップの歴史をひも解き、ヒップホップが世に与えた影響とビジネスでどう生かされているか追ってみましょう。

1.ヒップホップの定義

世界的に有名なヒップホップ・アーティストは、EMINEM(エミネム)やKanye West(カニエ・ウェスト)などが挙げられます。ヒップホップをよく知らないという方でも、彼らの名前を聞いたことがあるという方は多いかもしれません。

日本では、KICK THE CAN CREW(キック・ザ・カンクルー)やケツメイシなどが、紅白歌合戦に出場するなどしており、一般的によく知られています。

しかし、彼らのようなサウンドをヒップホップと呼んでいるわけではなさそうです。では、どのようなものがヒップホップとされているのでしょうか。

1-1.ヒップホップを構成する4大要素

ヒップホップには、4つの要素があるとされています。

1.MCing(ラップ)
2.DJing(DJ)
3.Writing(グラフィティ・アート/ストリート・アート)
4.Breaking(ブレイク・ダンス)

ヒップホップのルーツ、ニューヨーク・ブロンクス地区で開かれていたブロック・パーティーにおいて、上記4つが行われていたことが元になっています。

これらの4つが混ざりあい、ヒップ・ホップと呼ばれるようになりました。

グラフィティ・アートとは「落書き」
ラップやDJ、ブレイク・ダンスは知っていても「グラフィティ・アート」をイメージできない方は多いかもしれません。

グラフィティ・アートは、「道路や公園、建物の外壁などに塗料で書かれた落書き」です。有名なアーティストは、Banksy(バンクシー)やJean Michel Basquiat(ジャン・ミシェル・バスキア)、Keith Haring(キース・へリング)など。

日本では、KAZZROCK(カズロック)が日本のグラフィティ・アートのパイオニア的存在として知られています。

1-2.ヒップホップは音楽ジャンルではなく「文化」

ヒップホップはR&Bやソウルといったブラック・ミュージックの一つだと捉えている方は多いでしょう。しかし、ヒップホップ・アーティストによると、これは単なる音楽ジャンルではなく「文化」だと言います。

その理由は、ヒップホップの先駆者の一人であるAfrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)が、ヒップホップは以下をテーマとした「文化的活動」だと明言したためです。

1.Peace(平和)
2.Love(愛)
3.Unity(結束)
4.Having Fun(楽しむ)

ヒップホップが生まれたブロンクス地区は、低所得者や移民が集まり、争いや暴力、ドラッグの乱用、人種間の問題などが絶えない地域でした。アフリカ・バンバータは、「ヒップホップは、溜まった鬱憤を発散させるだけの行動ではなく、社会に対して声を上げる活動である」と意思表示。そこから、ヒップホップは文化として認識されるようになりました。

しかし、ヒップホップが一般的に認知されたあとは、単なる音楽のひとつとしてみなされるように。
すると、アフリカ・バンバータは、ヒップホップの正しい知識を身に着け、歴史を学ぶことで、ヒップホップの本質が守られると考え、上記4つに「Knowledge(知識)」を加えました。

2.3つの時期に分けられるヒップホップの歴史

ヒップホップの歴史は、3つの時代に分けられています。

1.1979年まで/オールド・スクール
2.1979年以降/ミドル・スクール
3.1989年以降/ニュー・スクール

と呼ばれています。
それぞれの時代に何が起きていたのか、追っていきましょう。

2-1.【黎明期】オールドスクール・ヒップホップ

1970年代初めに生まれ、ヒップホップの基礎が築かれた時代を「オールドスクール」と言います。この章では、どのようにしてヒップホップが生まれ、形作られていったのかをひも解きます。

2-1-1.ヒップ・ホップ誕生はブロック・パーティ

70年代当時、アメリカ全土ではディスコが流行していました。しかし、ブロンクス地区に住む貧困層のアフリカン・アメリカンやヒスパニック系の若者たちは、経済的な理由でディスコに行けません。代わりに公園でパーティーを開いたことが、ヒップホップ誕生のきっかけです。

このパーティーは「ブロック・パーティ」と呼ばれ、レコード・プレイヤーを公園に持ち込み、DJがかける音楽に合わせてダンサーが踊り、MCはラップをし、アーティストは壁などに絵を描くなどして、楽しんでいました。

2-1-2.ヒップ・ホップの礎を築いたカリスマDJ3人

毎週のようにブロック・パーティに通っていた3人のDJ、

・Kool Herc(クール・ハーク)
・Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)
・Grandmaster Flash(グランドマスター・フラッシュ)

がヒップホップの原型を作ったと言われています。

・DJの基礎を生み出したクール・ハーク
ヒップホップ誕生の日と言われているのが、1973年8月11日。この日に、クール・ハークが開いたブロック・パーティーがヒップホップの始まりと言われています。

この日、クール・ハークは、現在のDJの基礎となるスタイルを生み出しました。それは、ターンテーブル(レコードプレイヤー)2台に同じレコードをかけて、ブレイク部分(歌が入らない間奏部分)を長くかける方法。曲のブレイク部分が、人々を盛り上げていることに気づいたことがきっかけです。

ヒップ・ホップ4大要素のBreaking(ブレイク・ダンス)で、踊る少年たちを「B-Boy」と名付けたのも、クール・ハークです。

・ヒップホップの名付け親であるアフリカ・バンバータ
ヒップホップが誕生したものの、「ヒップホップ」という名前はまだ存在していませんでした。ヒップホップという言葉が生まれたのは、1974年11月12日のこと。1章のヒップホップの4大要素である「MCing」「DJing」「Writing」「Breakin」の総称を「ヒップホップ」であると先述のアフリカ・バンバータが提唱しました。

ギャングの抗争やドラッグの売買、暴力などが日常茶飯事のブロンクス地区。このエリア出身のアフリカ・バンバータは、アフリカ旅行で人々が朝早く起きて、働くという当たり前の姿に感銘を受けます。
そこで、ブロンクス地区に平和をもたらそうと、70年代半ば頃にブロック・パーティーやヒップホップを通じ平和活動を開始。DJやMC、グラフィティ・アーティスト、ダンサーからなる非暴力ヒップ・ホップ組織「Universal Zulu Nation(ユニバーサル・ズールーネイション)」を結成したのです。

NYのギャング集団、ブラック・スペーズのボスだったアフリカ・バンバータは、ギャングをとりまとめ、闘争をダンス・バトルに変えるなどして、ギャングを非暴力のヒップ・ホップ組織として作り変えてしまいました。

参考:Universal Zulu Nation

・DJテクニックを確立したグランドマスター・フラッシュ
DJの基礎を創ったのがクール・ハークなら、DJテクニックを編み出したのがクール・ハークをメンターとしていた、グランドマスター・フラッシュです。

彼は、クール・ハークのDJ手法を研究し、ブレイク部分がずっと続くループを創り、人々をずっと踊らせるというテクニックを思いつきました。DJテクニックの代表的な技「スクラッチ」を編み出したのも彼。レコードと針がこすれるときに出る音をリズミカルに鳴らす技で、DJと聞くとこの技を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。

肘でスクラッチをするなど、踊るようにプレイヤーを操作するパフォーマンス性の高いDJスタイルは、彼がはじめたと言われています。

2-2.【大衆化】ミドルスクール・ヒップホップ

ミドルスクールは、ヒップホップ人気が広まった時代と言えるでしょう。1979年以降、ヒップホップはブロンクス地区から飛び出し、白人リスナーの心もつかみ、やがて世界中の人々を魅了します。

2-2-1.ヒップ・ホップが一般的に広まった1979年

ヒップホップが世界的な人気を得たのが、1979年。アフリカン・アメリカン女性のシルヴィア・ロビンソンと夫のジョー・ロビンソンがヒップ・ホップに注目し、「Sugar Hill Records(シュガーヒル・レコード)」を創業したことがきっかけです。

シルヴィア・ロビンソンは、ブロック・パーティを回って、レコードを出さないかと声をかけて回っていました。その結果、ニュージャージー出身の若いアーティスト3人による「The Sugarhill Gang(シュガーヒル・ギャング)」を結成。レコーディングした「Rapper’s Delight」は、世界で200万枚のセールスを記録しました。

参考:Youtube「he Sugarhill Gang / Rapper’s Delight」

2-2-2.勢いが止まらないヒップホップ人気

白人アーティストや他ジャンルのアーティストもヒップホップに興味を持つようになり、当時、人気だったパンク・バンドのBlondie(ブロンディ)やThe Clash(クラッシュ)など、さまざまなアーティストがラップを取り入れるようになりました。

1984年には、ジャズ・ピアニストのHerbie Hancock(ハービー・ハンコック)による「Rockit」がグラミー賞を受賞。この受賞式もヒップホップの認知を広める出来事です。授賞式で、曲冒頭のスクラッチをブロンクスでDJをしていたGrandMixer DXT(グランミキサー・ディーエックスティ)がプレイ。
このパフォーマンスをきっかけに、スクラッチが世界的に知られるようになりました。

参考:Youtube 「Herbie Hancock / Rockit (Official Video)」

中でも白人リスナーの心を掴んだのがRUN DMC(ラン・ディエムシー)です。1986年にRUN DMCがAerosmith(エアロスミス)の楽曲「Walk this way」をカバー。この曲のミュージックビデオでは、RUN DMCとエアロスミスのメンバーが共演しており、世界中で話題沸騰となりました。

参考:Youtube「RUN DMC / Walk This Way (Official HD Video) ft. Aerosmith」

同年1986年には、ついに、白人のヒップホップ・グループが誕生します。
もともとはハードコア・バンドであったBeasty boys(ビースティー・ボーイズ)は、ヒップホップに転向。アルバム「Licensed to Ill」をリリースしたところ、大ヒット。黒人リスナーにも受け入れられた最初の白人ヒップホップ・グループです。

日本で、ヒップホップが一般的に広まったのは1990年代になってから。当時はスチャダラパーやEast End ×Yuriが人気を集めていましたが、それよりも前の1985年に日本国内初の日本語ラップのアルバムがリリースされています。タレントや小説家として知られているいとうせいこうがアーティストとプロデュースを務めた「業界くん物語」です。

参考:Youtube「いとうせいこう / 業界こんなもんだラップ」

世界進出する日本のヒップホップ
以前は、日本のヒップホップ・アーティストは「日本語ラップ」と呼ばれ、国内だけでの人気でした。しかし近年では、日本では国際的に活躍するヒップホップ・アーティストが増加。

例えば、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND(ニトロ・マイクロフォン・アンダーグラウンド)がNIKEの「AIR FORCE 1」のアイコンに抜擢、KOHH(コー)がフランスのファッションウィークやニューヨークのUNIQLO USA10周年イベントなどに招聘されるなどしています。

2-2-3.社会的メッセージを歌うスタイルが定着

ミドルスクール期には、社会的メッセージを楽曲に乗せるスタイルが確立されました。

きっかけは、グランドマスター・フラッシュが、1982年に「グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ」を結成し、「The Message」を発表したことです。

「The Message」は、世の不平等や貧困について歌いあげたメッセージ性の強い楽曲。この曲がきっかけで、ヒップホップの楽曲は政治への不満、ドラッグや貧困問題、人種差別など社会的な問題をテーマとするようになりました。

参考:Youtube「Grandmaster Flash & The Furious Five / The Message (Official Video)」

このような、メッセージ性が強いスタイルが「コンシャス・ヒップホップ」です。

・KRS-One(ケアレス・ワン)
・The Public Enemy(パブリック・エネミー)
・Lupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)
・Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)
・J.Coke(Jコール)

……などによって、継承されています。

2-3.【多様化】ニュースクール・ヒップホップ

1989年以降になると、歌が入っていない伴奏だけのバッキング・トラックにも、変化が現れます。
オールド・スクールではファンクやソウルミュージックの楽曲をバッキング・トラックとして使用していましたが、ニュー・スクールではより複雑なビートのバッキング・トラックを使うアーティストが出現。

政治について急進的な改革を主張をするハードコア・ラップや心の闇などセンシティブな内容を表現するエモ・ラップなど、さまざまなスタイルが生まれます。

中でも、2010年代に生まれたエモ・ラップは、音楽チャートの上位を独占。エモ・ラップ・アーティストのKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)のTo Pimp a Butterflyがグラミー賞11部門でノミネート、さらに、2018年には音楽配信サービス・Spotifyの「注目を集めた音楽ジャンル」では、エモ・ラップがあげられました。時代に不安を感じる若者の心を掴み、エモ・ラップの人気が広がったと言われています。

3.影響力の強さを取り入れたマーケティング

時代に対するメッセージ性の強い楽曲を創り、リスナーに訴えかけた結果、注目を集め続けてきたヒップホップ。人の心情に訴えかけるような楽曲が多いため、リスナーの共感を呼び、影響力が高いと言われています。

また、ヒップホップ・アーティストは富は成功の証とみなしているため、ヒップホップ・アーティストをアンバサダーとして起用する企業は多いです。
調査会社のニールセン社が、2017年に「アメリカで最も人気のあるジャンルはヒップホップ」と発表しました。この年から現在にいたるまで、ヒップホップの人気は上がる一方。その人気をビジネスに取り入れる目的で、ヒップホップ・アーティストと契約を締結する企業が増える傾向にあります。

3-1.ファッション業界に進出したヒップホップ

ヒップホップが世界的に認知され始めた80年代、アパレルブランドはアフリカ系アメリカンやヒスパニック系の人々をセールスの対象としていませんでした。

しかし、ヒップホップの人気が世界で定着すると、ヒップホップ・アーティストが身に着けている商品の需要が拡大。ブランドは、対象外としていた人々も顧客として視野に入れるようになります。

そこで、ファッションブランドとヒップホップ・アーティストとのコラボレーション商品が生まれたり、パートナーとして契約したりするようになりました。ヒップホップがファッショナブルだととらえられるようになった点も大きいでしょう。

アーティスト契約のある主なブランドを紹介します。

・ルイ・ヴィトン:21サヴェージを2021年メンズサマーコレクションのイメージモデルとして起用

参考:Youtube「Men’s 2021 Summer Capsule Collection / LOUIS VUITTON」

・グッチ:ブランドのキャンペーンとラッパーのGucci Mane(グッチ・メイン)のニューアルバムのプロモーションをコラボ

参考:Youtube「Gucci Cruise 2020 / Featuring Gucci Mane, Sienna Miller and Iggy Pop」

上記のキャンペーンムービー「Gucci Cruise2020」に登場するシーンの別アングルの写真は、アルバム「Woptober2」で使用されています。

画像出典:billboard Japan

・PUMA:2020年にJ.Coleをブランドの顔として、パートナー契約を締結。マーケティング・キャンペーンやプロダクト・クリエーションを行うだけでなく、文化的なガイドの役割をしています。

ヒップホップが人気のあるジャンルになると、富を手にするアーティストが散財する喜びを表現するようになりました。そのため、2010年以降のヒップ・ホップ楽曲には、ハイブランドの名前がよく登場します。

≪ヒップホップの楽曲に登場するハイブランド≫

Migos「Versave」
参考:Youtube「Migos / Versace (Official Video)」

Pop Smoke 「Dior」
参考:Youtube「POP SMOKE / DIOR (OFFICIAL VIDEO)」

Lil Pump「Gucci Gang」
参考:Youtube「Lil Pump / Gucci Gang (Official Music Video)」

特にGucciは人気が高く、多くの曲の歌詞に「Gucci」というワードが登場し、ヒップホップ界で最も話題に上るブランドとなりました。

自分のブランドを立ち上げたカニエ・ウエスト
2005年にTIME誌で、最も影響力のある100人に選ばれたカニエ・ウエスト。自身のMVでスタイリストを勤めていたVirgil Ablohと、2012年にファッションブランド・PYREX VISIONを立ち上げました。

MVの中で、出演者にそのブランドの服を着用させたところ、話題を呼び、2014年には新たなブランド・OFF-WHITEを設立。世界中で人気あるブランドとして知られています。

3-2.ヒップホップの必須アイテムとなったVape

ヒップホップ・アーティストをアンバサダーとして起用した結果、ヒップホップ界の新しいアイテムとして定着したのが、ニコチンやタールを含まない電子タバコ『Vape(ベイプ)』です。

以前は、シロックやVoilなどのウォッカ、NUVO、CherrytreeColaなどが、ヒップホップ・アーティストとパートナー契約を締結し、PVに商品がよく登場していました。近年は『Vape』と契約するアーティストが増加。アーティストモデルを販売することも。

その結果、ヒップホップのクラブ・シーンでは、必ずと言っていいほどVapeを見かけるようになりました。日本のヒップホップ・アーティストやリスナーもVapeを愛用し、Vapeを持つことが「ヒップホップスタイル」として定着しています。

まとめ:ヒップホップの精神をビジネスに取り入れてみよう

常に、社会に対して声を上げ続け、アメリカの歴史と共に歩んできたヒップホップ。それに人々が共感した結果、ブロンクス地区だけにとどまらずに世界中に広がりました。自分自身の信条やポリシーを発信することは、人の心を打つためでしょう。

ビジネスにおいて、ヒップホップのように自身や自社の思いを商品やサービスに組み込むと、人の心に刺さるモノが創り上げられるかもしれません。また、ヒップホップはその時代の情勢に対して反応し、場合によっては新しいものを受入れ、加えるなどして進化してきました。このような柔軟性もビジネスで参考になりそうです。
いつの時代もまっすぐに自分自身を表現してきたヒップホップを、ビジネスのヒントにしてみてはいかがでしょうか。

文:カワムラ ルイ
編集:山﨑 梨惠(リベルタ)

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